「さて、オレの愛しの姫君は…っと」
夕食も終わり梶原邸の廊下を行く。あのいい香りのする長い髪を探すが思いの外見つからない。
「湯浴みにでも行ったかな…?」
思わず独り言をこぼしながら角を曲がるとふわりと揺れる長い髪を見つけた。
「!姫ぎ…」
「弁慶さん、入ってもいいですか?」
「さんですか?どうぞ」
そんなやりとりが聞こえてオレに気づかないままは弁慶の部屋へと消えた。
足音を消して襖の前に行きそっと座り込む。
中から小さいながらも明瞭に声が聞こえた。
「どうしたんですか?さん」
「…弁慶さんは前の龍神の神子がどうやって京を守ったかご存知ですか」
「ええ、文献によれば龍神をその身に降ろした…とか」
「そうですか、龍神を…」
「…まさか、さん」
「可能性の一つの話ですよ弁慶さん。まだどうなるかわかりません」
「いけませんよ。君が消えるかもしれないのに僕はそんなことをさせられない。方法を教えるわけにはいかない」
「!弁慶さん!」
「それをするには余りにも危険が高すぎる。みすみすやらせるわけにはいきません」
「そんな…」
「僕達は全力で清盛に挑むつもりです。君を犠牲にすることに何の意味もない。わかってくれますね?さん。君を失うことを誰も望んでいないんです」
「…わかりました」
「物分かりが良くて助かります。お疲れでしょうから早く休んで下さいね」
「…はい、失礼します」
布と畳の擦れる音がしてが立ち上がったのがわかった。
慌てて隣の空き部屋に身を隠す。
カタン、と小さく物音を立ててが出てくる。はあ、と溜め息をついてオレが身を隠した部屋の前を通り過ぎようとした。
「」
小さく呼んで振り向く刹那。ぎゅっと抱き締めて灯りのない暗い部屋へ連れ込んだ。
「ヒっヒノ…むっ」
名前を紡ごうとした唇を強く抱き締めて黙らせてただのいい香りのする首筋に顔を埋めた。
消える?が?この今抱き締めている体が?
ー信じられない。
消えるな。嫌だ。離したりなんかしない。
ー何で京の為にお前が消えなきゃならないんだ。
ごそごそとが身じろいで口を開く。
「…もしかしてヒノエくん聞いてたの?」
「…盗み聞きするつもりはなかったけどね。聞いてたよ」
「そっ…か」
「…龍神をその身に降ろすつもりかい、姫君」
「…可能性のひとつの話だよ」
「それでもどうしても清盛が止められなかったらやるつもりなんだろう?白龍なら大喜びだろうしな」
「…」
「黙るってことは図星かな」
「…ヒ、」
「…止めな。」
「え?」
「危険が高すぎる。お前がこの世界の為にそこまでする必要はないだろ」
「けど私は龍神の神子なんだよ?この世界を救うためにここまで連れてこられて…」
「それが何?がこの世界で消えてオレたち八葉はどうするんだ?お前を失って京が助かって、手放しで喜ぶやつなんて頼朝くらいのもんだろう」
「けど!」
「止めろ!」
思わず声を荒げたオレにの肩がびくりと跳ねた。肩にかかっていた髪が小さく舞って肩から落ちる。
「止めろ、もういいから、もう言うな。」
「ヒノエ、くん…?」
「もう、言わないでくれよ…それ以上」
きっと、正しいのはだ。
オレは正直なところ京の行く末に興味はない。
オレにとっての世界は熊野、ただそれだけでそれ以外のものなどオレにとっては取るに足らない。
変わったのはが来たからだ。
面倒くさいことに八葉になり、を守ることになって、傍にいた。
が笑うから世界が美しく見えた。
の碧の瞳に映るものは全てが至上のものに見えた。
世界を綺麗だなんて思ったのは常に其処に、お前が居たから。
「が消えたら…オレはどうするんだよ」
「ヒノエくん?」
「お前を失ったらオレはどうしたらいい!世界が色褪せる。お前以上に愛せるおんななんてこの世界に居やしないのに。一生抜け殻のように暮らせと言うのかい?」
「ヒノエくん…!」
「離さない、離してなんかやらないよ。餓鬼の我が儘だと思うかい?けれどお前を失ったらオレにとってこの世界に意味なんかないんだ」
ぎゅうっと締め付けるように抱き締める。情けない顔をしているだろう。見せないようにの顔を胸にしまい込んだ。
「ごめん、ねヒノエくん」
「…」
「消えるなんてもう言わない。ヒノエくんがいるから龍神は降ろさない」
「…!」
「ヒノエくんを、ヒノエくんの愛する熊野を守れれば自分はどうなってもいいと思ったよ。けどそれじゃあ意味ないよね。一緒に居られるように戦おう」
「…ああ、勿論。姫君の望みのままに」
柔らかな絹織物のような極上の髪の毛を一房取って誓うように口づけた。
君が傍にいなきゃ、意味はない。
そ
し
て
お
前
が
笑
う
か
ら