「…、」
「ん…、」
「、」
「ん〜…」
「起きないのか?」
「ヒ、ノエくん…?」
「ふふ、おはよう、姫君」
海 風 を 帆 で 捕 ま え て
「なぁに…?まだ陽も上ってないよ…」
は目を擦りながらいつもよりゆっくりとした口調で言った。
そんなの前髪を上げ、額に口付けを落とす。
「良いところに連れてってあげるよ、姫君」
「良いところ…?」
「ああ、姫君が絶対に喜ぶ所さ」
「ん…わかった、起きる…」
目を擦りながらは上体を起こす。ふふっと笑ってオレは立ち上がった。
「門の前で待ってるから、早くおいでよ」
「うん」
その返事を聞き、オレは部屋を出た。
「ヒノエくん!待たせてごめんね!」
いつもの着物に身を包み、が駆けてきた。
「まだ大丈夫だよ。十分に時間はあるさ」
「そう?ならいいんだけど…」
「ああ、じゃあ行こうか。さ、お手をどうぞ、姫君」
慣れた仕草での手を取れば、
「もう…」と少し照れたような声が聞こえてふふ、と思わず声を漏らした。
「あ、ヒノエくん今笑ったでしょう?」
「姫君が可愛くてね」
「…何、それ」
「事実だよ」
そう言って、繋いだ手を少し引いた。
の体はそれに引っ張られ、易々とオレの方に傾く。
「ひゃ…!」
「もう少し、近くにおいで」
指を絡めて、オレは歩き始める。の頬はうっすらと紅潮していた。
「ふふっ赤くなって…可愛いね」
「もうっ!ヒノエくんたらそんな事ばっかり」
「本当なんだから仕方ないだろ?あ、ほら、見えてきたぜ?」
「え?あれ、船?」
まだ薄暗い海にぽかりと浮かぶ、大きな船。
はそれを見て取ると、不思議そうに尋ねた。
「見せたかったのって、船?」
「違うよ。あれに乗るのさ」
きょとん、と子首を傾げていたの目が、真ん丸く見開かれる。
「あれに、乗るの?」
「ああ、姫君の為だけの凱旋だ」
「…そんな、」
「見せたい景色が有るんだよ。ついてきてくれないかい?」
「…わかった」
「んー…いい気持ち」
「どうだい?来て良かっただろう?」
風を受けながら伸びをするに、後ろから話しかける。
するとは俺を見て、嬉しそうに笑った。
「うん、来て良かった。ありがとう、ヒノエくん」
「おっと、お礼を言うのはまだ早いぜ。ほら、あっちの方を見てごらん?」
の体を後ろから包むように片手を船の縁に置き、もう片方でそこを指し示す。
指に釣られて目線をやったの顔が、みるみると綻んでいった。
「う…わあ」
「ふふ、どうだい姫君。お気に召したかな?熊野一の朝焼けは」
「うん…凄い、凄いよ…」
「姫君のお気に召したなら、何よりだよ」
そう言いながら、の横に立つ。
するとが朝焼けから、こっちへ目線をやった。
「ありがとう、ヒノエくん。凄く嬉しいよ」
の花の様な笑顔を見て、知らず知らずの内に自分の顔も綻んでいった。
「―オレも、嬉しいよ。サイコーの姫君とこんな絶景を見れて、ね」
さらり、と朝焼けに透けるの髪を一房取り、口付けていった。
の頬が赤かったのはきっと朝焼けだけのせいじゃない。
「海だあー…」
熊野の海岸につく頃には昼を余裕で過ぎていた。
まあ凱旋だと言ってぐるぐると回ってきたのだから仕方ない。
食事はもちろん船の中で済ませた。
他の奴らに邪魔されない二人だけの時間は殊更早く過ぎていった。
「足だけでもつかって来ていい?」
「ああ。行って来なよ」
「うん!」
嬉しそうには履物を脱ぎ捨てて海へ駆けて行った。
「ふふ、無邪気だねえ…姫君は」
水と戯れているを見ながら一人ごちる。
着物の裾が濡れてもお構い無しだ。
オレも少しばかり水に触れようと、防具を外そうとしてから目を離した、その時だった。
「きゃ!?」
「!?…!?」
バシャンと水音がして慌てて顔を上げる。
するとさっきまでがいたはずの場所に彼女はいなかった。
「!!」
防具もそのままに、慌てて海の中へと駆け入った。
「!!」
浅瀬で遊んでいたために溺れないですんだがその代わりの着物はびしょぬれだった。
「おい…大丈夫か?」
「う、うん。びっくりした…」
「それはこっちのセリフだよ、姫君」
の無事にとりあえず安心しながら腕を掴んで引き起こした。
「ほら…浜に上がるよ」
「う、うん」
一先ず浜辺に上がり、岩の近くにオレは上着を広げた。
「ヒノエくん?」
不思議そうに首を傾げるをとん、と押してその上に座らせた。
「わ!?ヒ、ヒノエくん!?」
「そこに座ってろよ?今船から布とか持ってくるから」
「い、いいよ!それに、ヒノエくんの上着が濡れちゃう…!」
「上着なんか気にするなよ。
それに、は白龍の神子と言う大切な存在だ。
自分をかろんじるのは感心しないな」
「…ごめんなさい」
「謝らなくて、いいよ。
その代わりここから一歩も動かないと約束してくれるかい?」
「うん!」
「流石、物わかりがいいね姫君。じゃ少しの間待ってろよ?」
言うが早いかの唇をかすめてオレは船の方へ走った。
後ろからの照れたような怒ったような声が聞こえたけど、オレは振り向かなかった。
「参ったな…」
夕暮れ時になり、濡れた格好ではさぞかし寒いだろうと思い、急いで布やら衣やらを持ち帰ってきた。
だが―
「当人がこれじゃ…ね」
濡れた本人は岩にもたれかかりぐっすりと眠っていた。
「まあ、朝早かったし無理もないけどな」
ゴツゴツとした岩に背を預けて痛くないのか、と思いを抱き抱える。
「?起きないのかい?」
「…」
朝とは違いは返事すらしない。聞こえてくるのはすやすやと言う寝息だけ。
「やれやれ…神子姫様は眠り姫になっちまったか…」
誰に言うわけでもなく呟いた。が、ん…と微かにみじろぐ。
それを見てオレはの耳元に唇を寄せた。
「起きないと、悪戯するぜ?…」
「ん…」
微かにみじろぐけど、起きる気配はない。
「…仕方ない、な。
お前の世界の御伽話のように、眠り姫は王子の口付けで目覚めさせるよ」
くすっと笑いながらオレはそっとの唇に顔を近付ける。
あと一寸ばかり…と言うところでんぅ〜っと声が聞こえた。
「ヒ、ヒノエくん!?」
「おや、眠り姫の御目覚めかい?」
「い、今っ」
「眠り姫には、王子の口付け…だろ?」
未遂だけどね、と笑えばの顔はみるみる内に紅潮していった。
「〜〜〜っ」
「ふふ…顔真っ赤だよ、姫君」
「ヒ、ヒノエくんの馬鹿っ…!」
「ふ、酷い言い草だね」
を軽く起こして、大きめの衣をかける。
「夏と言ってももう夕暮れ時だ。風邪を引くといけないからね」
は少しきょとん、としてそれから花のように笑った。
「心配症だね、ヒノエくん」
「姫君の事だからね。さ、帰るよ」
すっと立ち上がりながらを抱き上げる。
は慌てたようにヒノエくん!?と声をあげた。
「疲れただろ?家につくまで、おやすみ」
ちゅ、と軽く額に口付けるとは一瞬赤くなって、それから体を預けて目を瞑った。
規則的な寝息が聞こえてくるのは数分後。
あともう少しだけ、この優しい寝顔を見させて。