―ヒノエ、嫁は中身を見てくれる奴を選べよ

―何言ってんだくそ親父













オレは十五の時、親父の立場、熊野別当の立場を継いだ。

前例のない若さの頭領と言うことで、誰もが親父に反対した。

だが、親父は聞く耳を持たなかった。

あの日からオレは“藤原湛増”と言う名を隠した。






―二年前

「親父、話って何だよ」

別当の名を受け継ぐ儀式の前日、オレは親父に那智の滝まで呼び出された。

親父はそこで滝が落ちるのを見ていた。

「親父、」

オレがもう一度呼び掛けると親父はゆっくりと振り返った。

「おぉ、来たか」

「来たか、じゃねーよ。わざわざ呼び出しやがって」

「ハハハ!まぁそうカリカリするな」

「…ハァ」

親父は笑って石に腰掛けた。

これ以上反抗しても無駄だと諦め、オレは親父の前に立った。

「で、話ってなんなんだよ」

不機嫌そうにオレがそう言うと親父はえらく真面目な顔をして言った。

「湛増、お前は明日から滅多な時以外、その名前を使うな」

「はぁ?何言ってんだよ」

意味が分からなくて問いかえしたら親父は右手を出して

「まぁ落ち着け」

と制した。

納得が行かないながらもオレは口をつぐんだ。

「で、何でなんだよ」

「お前、別当を継ぐと決まった時、女が寄ってこなかったか?」

唐突な質問に軽く驚きながらオレは答える。

「あ?あぁ…」

そういえば、とオレは思った。

「別当!」と女が寄って来ていた。

あの時は「オレ、慕われてるじゃん」くらいで流していた。

「別当に取り入ればそこで水軍が動かせる。…私利私欲の為にな」

「私利私欲、」

「あぁ。平家や源氏の内情もわかるし、一石二鳥だ」

「密偵ってわけか…」

「ま、そういうこった」

まさか、とオレは思った。

オレの知らないところで人々は何かを考えこの戦をどうにか切り抜けようとしている。

・・・ゆがんだ世の中。

「それでだな、お前は今日から・・・、そうだな、丙、と名乗れ」

「ひのえ?」

「ああ、お前は火属性だし、髪も瞳も燃えるような紅だ」

「ふーん・・・ひのえ、ね」

悪くない、と思った。

二つ名前があるなんて面白いじゃないか。

丙、ひのえ、ヒノエ。

うん、悪くない、と1人ごちて納得する。

「カタカナが一番しっくり来るな。ヒノエ・・・。了解、今日からそう名乗るよ」

「しくじるなよ」

「あんたもな」

ヒノエ、ヒノエ、と考えながら熊野本宮に戻ろうとしたとき、

「おい、ヒノエ!」

一瞬反応できなかった。ゆっくりと振り返れば

「何だよ。自分が反応できなきゃ意味ないぜ?」

ハハハ!と親父は豪快に笑った。


不機嫌になる気持ちを抑えて後ろ手を振って立ち去る。

「明日になったら完璧にしてやるよ。見てな!」

「ヒノエ!」

「あ?いったい何なんだよ」

立ち去ろうとしたオレをもう一度呼び止める。

「お前、嫁は中身を見てくれるやつを選べよ」

一瞬驚いた。あまりにも唐突すぎたからだ。

まだ元服したばかりで、結婚なんて全然考えてもいないのに。

ふっと鼻で笑って言い放つ。

「何言ってんだよくそ親父。オレはまだ元服したばかりだぜ?」

「まあ心にでも留めとけ」

その言葉を背に、オレは滝を後にした。







「---懐かしいな・・・」

もう二年も前か。別当を継いだのは」

「ヒノエくん?どうかした?」

「いや、何でもねえよ」

そう?と言って彼女は滝にむかって歩いていった。

---

白龍の神子としてやってきた、異世界の女。

不思議な女だった。

凛としていて、大切な人を守るため自ら剣を振るう。

こんな女は初めてだった。

オレが熊野別当だと分かった後でも変わらず接する。

オレがに惚れているのは自身もわかっているはず。

上手くやれば水軍を動かして源氏方につけることも可能なのに。

---はそれをしようとしなかった。

「--

「何?」

長くて、柔らかな髪をふわりと膨らませて振り返った。

全てで魅了する、花の中の花。

はオレ達熊野水軍に源氏方について欲しいんだよな?」

「?うん」

は当たり前だ、とばかりにうなずいた。

「やり方次第で、源氏方につくかもしれないよ?」

「え?」

きょとんと大きな目を見開く。

何を言おうとしているのか、わからないのだろう。

「だから、さ・・・」

一歩、一歩とに近づき、右手で後ろ頭に手を当て引き寄せた。

「!?ヒノエく・・・!」

驚いたように身を縮める。

そんなをよそに耳元に唇を寄せて囁いた。

「お前が、オレの物になれば、何か変わるかもしれないよ?」

を試した。

これで「オレの物になる」と言ったなら愚かな女だ、と

オレの見方は変わっただろう。・・・たとえキライになれなくても。

でも、は違った。

「---しないよ」

「え?」

の表情は見えない。身体を少し離して問いかける。

「しないって、何をしないんだい?姫君」

そのときオレは、がオレの物にならない、という意味だと思っていた。

それを言われたらそこからいつもの会話に繋げる段取りもあった。

でも、は。

「ヒノエくんはそんなことしないよ。たとえ私がヒノエくんのものになっても、

仕事に市場は挟まない。だってヒノエくんはそうゆう人でしょ?」

は笑って、でもキッパリと言い放った。

「参ったね、には・・・」

くしゃ、と自分の髪を掴んで苦笑いを浮かべる。

それしかできなかった。

濁りのない深緑の瞳。

嘘も、偽りも、何もかも見抜いてしまう強い瞳。

ごまかせない、何もかも。

別当じゃないオレを、物事の本質を見抜く---

「見つけたよ、親父・・・」

え、と言うを強く強く抱きしめた。

「ほんとにお前は怖い女だね、・・・」

全てで魅了する。

いとおしいいとおしい彼女。

誰にも触れさせない。離さない。

「もう離さないよ、・・・」

耳元で囁いて、顔を見ると赤くなって俯いていた。

「ふふっ。赤くなって、可愛いね。さ、帰ろうか」

白くて細い、頼りないような手をとって、勝浦へと道を行く。






片手には君。離したりはしない。