君じゃなきゃダメなのに、ひとつになれず―






 桜 坂 






「姫君、今日は天気もいい。花見でもしにいかないかい?」

「ヒノエくんってほんとにいきなり現れるよね。木の上から降りてくるんだもん、びっくりしちゃった」

突然木の上から降りて来たヒノエにはびっくりした、と胸に手を当てて驚いていた。

「ふふ、姫君の心を一瞬でも高鳴らせる事が出来たなら、光栄の至りだね」

に軽く背を向け視線を送るとはもう…っと言いながらうつ向いた。

そんなにヒノエはねえ、と話しかける。

桃色に染まった頬を気にしてかはちら、と目線だけをあげる。

「返事は?姫君」

「へんじ…?」

さっきのヒノエの甘い言葉では花見に誘われていた事を忘れてしまっていた。

思い出せなくて、ヒノエの言葉を反復する。

のその様子に気付いてかヒノエはふ、と笑って言葉をつむぐ。

「酷いな、姫君。花見に誘った事忘れてるのかい?」

台詞とは裏腹にその言葉に非難する色は含まれておらずむしろ優しい響きの声色にはあ、と声をあげた。

そして小さく憚るようにごめんなさい、と謝った後にこっと笑っていいよ、と言った。

その言葉を受けてヒノエはの手を取り、じゃあ行こうか姫君、と言って歩き出した。








ヒノエに手を引かれて歩きながらはふと疑問を口にした。

「ヒノエくん、どこに行くの?」

するとヒノエは優しくを見て、あぁ、まだ言ってなかったねと笑った。

「桜坂に行くのさ。丁度満開だ」

「桜坂…?」

聞き慣れていない言葉には首を傾げる。

こちらの世界に来てもう三ヶ月は経ち、弁慶に習い、歩いて行ける範囲の地名は覚えた筈だ。

しかしどうしても桜坂、と言う地名は思い出せなかった。

そんなの様子に気付いたのかヒノエは説明を付け加えた。

「通称、ね。本当は名もない坂なんだ。桜並木道の坂なんで桜坂って呼ばれてる」

そうヒノエに言われはへぇ、と小さくこぼした。

「納得いったかい?姫君?」

そう問われてはうん、と頷きそして楽しみ、と頬を綻ばせた。

そんなを愛おしげに見つめて、ヒノエはまた一歩足を進めた。







「う、わぁ…」

綺麗、と口にした言葉は声にはならなかった。

可憐に咲き誇る桜のトンネルに一本の長い道。

風が吹けばざあっと木々は揺れ、桜の花びらが舞い散って。

そこだけ異世界のようで、世界に二人だけみたいで、

はすごい、と感嘆の声をあげた。

「どうだい?姫君のお気に召したかな」

一歩下がった位置からヒノエにそう問われては夢見心地にうんと頷いた。

そうしてくるりとヒノエに向き直るとにこりと笑って言った。

「ありがとう、連れてきてくれて」

ひとまずそれだけ言うとざあっと吹いた強い風に髪を押さえ桜をもう一度見て言った。

「すごいね、圧倒される。この場所は生命力に溢れてる」

綺麗だもの、凄く。と呟いたの横顔を見つめヒノエは桜より何よりが綺麗だ、と思っていた。

その視線に気付いたが「ん?」と問えばヒノエは頬を綻ばせて、それでもいつもの調子で言った。

「俺は咲き誇る桜よりも姫君のが綺麗だと思うけどね」

その言葉を受けては一瞬目を見開き、そして頬を紅潮させた。

「も、うっ…!」

「ふふ、姫君は可愛いね」

愛しげに、慈しむように頬を撫でるヒノエにの頬は益々紅潮していく。

そんな状況に耐えられなくなったのかくるりとヒノエに背を向けて坂を登りだす。

その途端にぐいっと腕を引き、は小さく悲鳴を上げて重力に逆らえずヒノエの腕の中に落ちる。

「ヒノエくん…!」

慌てて声をあげればヒノエはを羽交い締めにして楽しそうにふふっと笑った。

「捕まえた」

離さないよ、との肩口に顔を埋めて呟いた。

で頬に当たるヒノエの赤い髪がくすぐったくて、抱き締められている事に落ち着かなくてヒノエくん…!と声をあげる。

「…、」

甘い声で名を呼んで抱き締める力を強くする。

さらりと落ちた髪から覗いた首筋に口付けて好きだよ、と呟いた。

今までに無いくらいの甘い声で。

その甘くて尚且切なさを含んだ響きには背筋をこわばらせた。

、」

もう一度名前を呼んで。

「オレの物になりなよ」

艶のある、少しかすれた切なげな声でヒノエは言う。

桜を見たままは泣いていた。

ここでヒノエの物になる、と言えたならどんなにか楽だろう。

けれど、言えない事も知っていた。

はこの世界の住人じゃない。

帰る場所がある、待っていてくれる人がいる。

例え狂おしい程愛してくれていても、

背筋が溶けてしまうんじゃないかと言う程愛していても、

簡単には応えられない。

答えの代わりにの体を抱き締めているヒノエの腕を抱き締めて、

「桜、綺麗」と呟いた。

「…あぁ」と呟いたヒノエの声は酷く苦しそうだった。











唯、もう少しだけ側に居たい。

唯、もう少しだけこのままで。