「?ー?」
「っ…」
「?いるのか?」
(見付かっちゃうよ…!)
「おっかしいな…何処に行ったんだ?」
(見付かってない・・・?)
「あっちも探してみるか…」
(ほっ・・・)
「んなあ〜」
(あっ!)
「猫?一体どうやって紛れ込んだ・・・って、?」
「あは、は・・・ヒノエくん」
鳴き声をあげた猫を抱き抱えたまま、私は曖昧に笑った。
寂 し が り や の 捨 て 猫
「何やってるんだよ?こんな所で」
私に合わせてヒノエくんが屈む。視線を合わせ、ん?と首を傾げられる。
優しく笑う瞳からは怒りは感じられなかった。
「あれ・・・?ヒノエくん、怒ってないの?」
恐る恐るヒノエくんに聞くと、ヒノエくんはきょとんとしてから笑った。
「怒らないよ。どうせ原因はこいつなんだろ?」
くす、と笑いながらヒノエくんは腕の中の猫を抱き上げる。
「んなあ〜」
「ははっ、お前ひとなつこいな!」
くすくす笑いながらヒノエくんは猫を撫でる。猫は嬉しそうにペロペロとヒノエくんの顔を舐めた。
「で?」
「え?」
片手でふわふわの猫を抱き上げたままヒノエくんが私に話しかける。
「何でこんなところにいるんだい?姫君」
「あ・・・えっとね、この子を拾っちゃって・・・。宿に連れて行くわけにもいかないから・・・」
道の隅で怯えてた猫を見付けて思わず抱き上げた。行く当てもなくてふと目についた廃船に駆け込んだ。
「が廃船に入ったのを水軍の仲間が見ててね。それで追い掛けてきたんだけど・・・迂濶だよ、姫君」
「え?」
猫を床に下ろしてヒノエくんはあぐらをかきながら話し始める。
「こんな廃船、敵が攻めてきたら終わりだぜ?姫君。
現に熊野には平家も来てるんだ。ちょっと用心が足りないんじゃないかい?」
「あ…ご、ごめんなさい・・・」
私が少しうつ向き加減で言うとヒノエくんはふふ、と笑って私の頭を撫でた。
そっとヒノエくんを見ればとても柔らかく笑っていてー・・・少し、鼓動が跳ねた。
「ま、オレはのそう言う所も気に入っているけどね。自由でいいんじゃないかな」
「え?ヒノエくんは自由じゃないの?」
「オレが?・・・異なことを言うね」
「え、だ、だってヒノエくんてば神出鬼没だし・・・。自由奔放な感じが…」
「ふふ…、自由奔放、か。いいね、その響き。そうであればいいけど」
「違うの?」
「いいかい?姫君。オレの背中には、この熊野の地がある。熊野の民がある。
オレは決して、自由にはなれない」
「・・・」
真っ直ぐに、私の目を見て言うヒノエくんに私は何も言えなかった。
「さ、そろそろ帰ろうか」
「あ、うん」
慣れた手付きでヒノエくんは私の手を取って、立たせた。
ふるびた船室から出ようとした時、
「雨・・・」
ざああ、と降り注ぐ激しい雨。とてもじゃないけどこの中をかいくぐって帰れるとは思えない。
「オレだけならともかく…姫君を濡らすわけにはいかないからね。仕方ない、せめて少しおさまるまで待とうか」
「う、うん」
ヒノエくんは私の手を放し、ひょいと床に居た猫を抱き上げて私に渡した。
ガタガタとなる船室の扉を閉めて何処かへ歩いていく。
「ヒ、ヒノエくん!?何処行くの!?」
「火とか取って来るよ。少し待っててくれるかい?」
くるりと振り返ってヒノエくんは言った。
「うん、わかった」
「じゃあちょっと行ってくるよ」
ヒノエくんは船室の奥の方へ歩いていった。腕の中の猫はゴロゴロとすりよって泣く。
「にゃあ〜」
「ちょっと、待ってようね」
「にゃあ」
ふわふわと柔らかい毛並を撫でると猫は気持よさそうに目を瞑った。
耳につくのは船に波がぶつかる音と、雨が船室の天井を叩く音だった。
「ヒノエくん…遅いなあ・・・」
汚れた窓から入る鈍い明るさだけの船室は妙に心を不安にさせた。
ありえないのに、このまま帰ってこないんじゃないかと言う不安が襲う。
「ヒノエくん・・・」
「にゃあ…?」
ぎゅっと猫を抱き締めると猫は不思議そうに見上げる。
私の不安を感じたのか猫は爪を立てて私にしがみついた。
失う恐怖を知っている。
怖い、
恐い、
こわい。
思わず猫を抱き締めたまましゃがみこんだ。
「ヒノエくん、」
名前を呼んでも、
「ヒノエくん、」
返事は返って来ない。
「ひのえくん…」
暗闇の中に一人きり、
「ひのえくん・・・、」
大切な人を失う恐怖。
「?」
ふっと暖かい光と柔らかい声を感じて顔をあげた。顔をあげた先には紅緋の彼がいた。
「ヒノエくん…」
「泣いていたのかい?」
ヒノエくんは膝を着いて指で私の目尻に溜った涙を拭った。
腕の中の猫はするりと腕をすり抜けてヒノエくんの足元に擦りつく。
「ひのえくん、」
苦しくて、寂しくて、・・・怖くて。思わずヒノエくんに抱きついた。
「!」
ヒノエくんは驚いていたけど、そんな事は構わずに腕に力をこめた。
ヒノエくんも、優しく抱き締めてくれた。
「ヒノエくん、ヒノエくん、」
「どうした?」
優しく背中を撫でてヒノエくんは問いかける。
「こわ、かった」
何が、とヒノエくんは聞かなかった。返事の代わりに抱き締める力を強くした。
「すきだよ、」
そっと顔を覗きこんで、ヒノエくんの顔が近付いてくる。
目を瞑ろうとした、その時。
「にゃあ」
私とヒノエくんの間に居た猫が仲間に入れろとばかりに鳴いた。
「お前・・・」
ヒノエくんは心底嫌そうに呟き、
「寂しかったのかな?」
私は笑いながら猫の耳の裏を撫でた。猫は気持ち良さそうに片目を瞑り、にゃあと鳴く。
ふふふ、と笑いながらヒノエくんと私は猫と戯れた。
「可愛い」
「姫君の方が可愛いけどね」
「もう!ヒノエくんてば!・・・んっ」
ヒノエくんはそっと猫の目を隠して私に口付けた。にゃあ?と猫の不思議そうな声が、下から聞こえた。
雨の降る音はもう聞こえなかったけれど。
あと少しだけ、知らないフリをさせて。