「ちょっと!ねぇヒノエくんってば!」
強引にぐいぐいと腕を引かれて歩く。
補導員や警察に見付かったらどうしようなんて私の心配をよそにヒノエくんは我が物顔で鎌倉の街を歩いた。
と、ヒノエくんが急に学ランの前を開ける。中に着ていた白のパーカーを脱ぐと学ランと一緒に畳んだ。
「え、あの、学ラン着ないの?」
「ん?ああ…そうだけど」
「そっか…ちょっと残念」
「へぇ…何で?」
「学ランだと赤い髪が映えて綺麗だったから」
「じゃあ着てようかな」
ヒノエくんはくす、と笑って一旦脱いだ学ランをはおる。パーカーは鞄にしまっていた。
「ちゃんに褒めてもらえるとは思わなかったよ」
「別に褒めたつもりは…」
「天然かい?少々質が悪いな」
ぼそりと独り言の様にヒノエくんが何事か呟いた。
私は首を傾げたけれどヒノエくんはくすりと笑っただけだった。
「ねぇ何処へ行くの?」
「とりあえず腹も減ったし飯でも食おうか」
「朝御飯食べなかったの?」
「ああ、今朝は食いっぱぐれてね」
相変わらず手を繋いだままヒノエくんはそう言う。ファミレスかファーストフードか何かだろうか。
そんな私の意図とは逆にヒノエくんは雑居ビルを指し、ここに入るよと言った。見たところ四階建て位のそのビルの階段を上がっていく。
三階の通路に出るとガラス張りの小さなドアが一つきり。
ヒノエくんは躊躇いもなくドアを押し開けた。
中に入ればお洒落なカウンター席とテーブル席に人が沢山いた。
どうやら仕事前の朝食といった感じでスーツの大人で溢れていた。
「ようヒノエ。久しぶりだな」
「ああ、席空いてる?」
「お前のお気に入りのあの席なら空いてるぜ、ほらよ」
親しげにヒノエくんに声をかけてきたウエイターさんが一番奥の窓際の席を指差す。
ヒノエくんは何も言わずに其所へ向かって歩き、私もそれに付いていく。
気の良さそうなウエイターのお兄さんはカウンターへと戻った。
「どうぞ、お姫様」
いつの間にか手を離し、窓際の席をうやうやしく引いてくれた。
少し照れながらも有難うと言って座るとヒノエくんも満足気に目の前の席に座った。
「いらっしゃいませ。」
さっきの人当たりの良さそうなウエイターさんが水とおしぼりを持って現れた。
私におしぼりを手渡してにこりと笑う。私もにこ、と笑い返すと途端にウエイターさんはヒノエくんに肘で合図した。
「可愛い子じゃん。彼女かよ?」
「ああ、そうだけど?」
「ええ!?ち、違います!」
「んだよ嘘つくなっつーの」
「これからそうなる予定なんだよ。ほら油売ってないでさっさとカウンター戻りな」
「うっわ冷てえなあー。じゃあまた後でな、お嬢さん」
「は、はあ…」
軽く手を振ってウエイターのお兄さんがカウンターに戻って行った。
気さくな人だなあ…なんて思っていると目の前から視線を感じた。
「ああ言うの、タイプなのかいちゃんって」
「え、ええ?違うよ。ヒノエくんこそさっきの話は何?」
「本当の事を言ったまでなんだけどね。オレ、ちゃんの事気に入っちゃったから」
「え?」
「さ、ちゃん何にする?」
話は勝手に打ち切られヒノエくんに差し出されたメニューを受け取る。
朝御飯を半分しか食べなかったせいか心なしかお腹が空いてる気がして、モーニングメニューのトーストを頼むことにした。
「トーストを…」
「飲み物は?」
「アイスティーで」
「了解、おいマスター」
「はいよ。注文決まった?」
「ステーキセットで飲み物はアイスコーヒー。あとモーニングのトーストとアイスティー」
「はいよ了解。飲み物は先でいいんだろ?」
「ああ、ちゃんも先でいい?」
「あ、う、うん」
「じゃ先で」
「はいよ〜。ご注文承りましたっと」
そう言いながらマスターさんはカウンターへと戻って行った。ヒノエくんはここ常連なんだろうな、何か慣れてるし。
「ん?何?」
「あ、えっと素敵なお店だね、ここ」
「ああ。まあ夜はバーになる所だからね」
「そうなんだ」
「夜はまた雰囲気出ていいぜ?オレと今度来てみる?」
「え。」
「はい、口説きタイムは其所まで。アイスティーとアイスコーヒーでーす」
「邪魔すんなよな…」
「オレは仕事をしてるだけだぜ」
マスターさんは飲み物を置いてヒノエくんと何言か言葉を交わすとカウンターへ下がっていく。
飲み物を飲みながら料理が届くまで色々と話した。
それにしても私は学校をサボってまでこんなところでよく知らない男の子と一緒にいるなんて何て事をしてるんだろうと今更の様に思った。
それから料理が届いて二人で色々と話して食べた。
「おいしかった!」
「喜んでもらえたみたいで良かったよ、顔色も大分良くなったし」
「…気にしててくれたの?」
「そりゃあね、可愛い女の子が蒼白い顔してるなんてもったいないだろ?」
ぱちん、と片目を瞑ってウインクをしながらそう言うヒノエくん。言われ慣れない言葉に顔に熱が集まるのを感じた。
「ヒノエくんって誰にでもそう言うこと言うの?」
「誰にでもって訳じゃないさ。可愛い姫君にしか言わないよ」
「それって可愛ければ誰にでも言ってるって事じゃない…」
「ふふっまあそう言う事になるね」
楽し気に笑うヒノエくんを見て私は深い溜め息をつく。
此処へ来てヒノエくんの正体が分かったかもしれない。もしかしてヒノエくんって…ナンパな性格?
「さ、そろそろ出ようか」
「あ、待って待って私もお金払うよ!」
「いいよ。女の子に払わせるわけにはいかないし」
「でもっ…」
「オレが無理言って連れてきたんだからさ、此処はオレに奢らせてよ。ね?」
「…うん、じゃあお言葉に甘える」
「そうしてくれるかい?」
「有難う、ヒノエくん」
「いや、ちゃんが気にする事じゃないよ」
ヒノエくんについてわったこと、相手に気を使わせない物言いが上手いこと。
あとさりげなくレディーファーストなこと。これは遊び慣れてるって事かな…。
「さ、行こうか」
またさりげなく私の手を握ってお店を出る。結構ゆっくりしていたせいかもう昼近くになっていた。
その後はウインドウショッピングをしたりカフェでゆっくりと時間を潰し、気付けばそろそろ夕方になっていた。
「最後に行きたいところあるんだけど、まだ時間平気?ちゃん」
「え、うん」
「そっか。じゃあ行こっか」
電車に乗って着いた先は海だった。水色の海は夕陽に因ってオレンジ色に染めあげられていて、とても綺麗で。
「うわあ…っ」
「絶景だろ?ここ。ちゃんに見せたかったんだ」
にこ、と綺麗に笑ってヒノエくんが言う。私は直視出来ずにうつむいた。気を抜いたら本気に取ってしまいそう。
「っくしゅ!」
夕方になって冷えたのか小さくくしゃみが出た。ふるっと体を震わすとふわ、と肩に微かな重み。
見上げて見ればヒノエくんが白のカーディガンを肩にかけてくれていた。
「着なよ。秋とは言えその格好じゃ寒いだろ?」
そう、学ランを着込んでいるヒノエくんとは違い私は長袖シャツ一枚。ヒノエくんの言葉に甘えて大きなそれに袖を通した。
「ぶかぶか…」
「ふふっそれも可愛いじゃん、ちゃん」
「も、からかわないで!」
「顔真っ赤だよ?」
「もう、止めてってば!」
「ホントちゃんって反応が素直で可愛いね」
クスクスと楽しそうに笑いながら言うヒノエくんに私は顔を背ける。すると私の手を取ってヒノエくんが言った。
「そろそろ帰ろうか。日が沈む前に」
「え?うん」
「じゃあ行こう」
軽く繋いだだけの手を一瞬離して指と指を絡めさせるヒノエくんにびくっと私が反応すると此方を見て楽しそうに笑った。
なんだかんだ言いながら気付けばヒノエくんのペースに巻き込まれて、
最初はどうしていいかわからなくて拒んだ手を繋ぐ事もいつの間にか嫌じゃなくなっている自分に気が付いた。
夕陽に照らされてオレンジ色に染まったヒノエくんの横顔を見ながら、この心に出来た開きかけた気持ちを自問自答していた。