ちゃん」

「ヒノエ…くん」

その日の空は酷く澱んでいた。何時雨が降ってもおかしくないような、そんな天気。
学校の校門で私を待ち伏せていた彼の周りにいた沢山の女の子達の私への憎しみに似た嫉妬心を顕したかの様な空。

「じゃあ、オレ彼女に用があるから」

「ヒノエ行っちゃうの?」

「そ、悪いね姫君達。また明日」

「そう…じゃあまた明日ね、ヒノエ」

「ああじゃあな」

名残惜しそうにヒノエくんの腕から手を離して彼女達は私を一瞥する。
肉憎し気に寄せられた眉。綺麗に取り付くっていた顔は何処へやら。憎しみが思い切り籠った顔で私を睨み付けた。

ちゃん」

色とりどりの制服を来て去っていく彼女達をぽかんと見ているといつの間に後ろに回ったのかヒノエくんが肩に腕を回していた。

「ちょ…離して!」

「おっと、つれないね」

身をよじって腕から逃れるとヒノエくんがぱっと手を離す。
瞬間高まった鼓動を抑えるように胸に手を当てる。体温が一度くらい上がったんじゃないかと思うくらい体が熱くて。

「何しに…ここまで?」

誤魔化すように睨むような目で問う。ここは鎌倉高校の校門前。
赤毛の彼はさっきから嫌ってほど目を引いてるのに。さほど気にしてないような調子でヒノエくんは言う。

「そりゃもちろん、姫に会いに」

にっこり。
そう効果音が付きそうなほどの笑顔でヒノエくんが笑った。周りで女の子がきゃーって言ってるの、聞こえてないのかな。
気に入ったって言っただろ?と耳元でぼそりと囁く。

「ヒノっ…!」

「ふふっ真っ赤だねちゃん」

口元に手を当て興味深そうに此方を見る。そんなマジマジ見ないでよ。どうしていいかわかんない。
思わず顔を反らした私の目に入ったのは珍しく一緒に居るお隣の幼馴染みの兄弟。二人ともぽかんとした顔をしてる。
見られちゃった。どうしよう、お母さんとかに言われたら。
その横にはクラスの友達。あれって!?とかって噂してる。あああ…明日聞かれるんだろうな、やだな。
ふと私の視線の先に気付いたのかヒノエくんが腕を伸ばす。後ろ頭を捕えてぽすんとヒノエくんの胸に当てる。
何するのと言おうとした私の言葉を遮って話し掛けてきた。視線の先にはまだ皆が居る。
頭の位置が固定されていてヒノエくんの顔は見えない。

「何、ちゃんの友達?」

「え、や、幼馴染み…」

「ふーん…幼馴染みね」

面白くなさそうにヒノエくんは私の言葉を繰り返す。
少し緩んだ腕の力に上を見上げようとしたらそのまま強く抱き締められた。目に入るのは真っ黒な学ランだけで。

「ちょっ、ヒノエくん!」

腕を突っぱねて体を離そうと努力する。けど男の人の力には敵わない。
きゃーと女の子の叫びが聞こえた気がした。

「わりぃけど」

さっきまでの二人で喋る声の大きさじゃない、校庭に響くくらいの大きな声。

は、オレのだから」

しんと水を打ったように静まりかえった校庭。突然の呼び捨てに心臓が早鐘を打つ。
行くよと小さくヒノエくんが呟いて慣れたように指を絡める。抵抗する間も無く私はヒノエくんに引かれて走った。




















「ヒノエくん待って、待ってってば!ちょっとストップ!」

無理矢理に止まって息を整える。振り返ったヒノエくんは息一つ乱してなくて体力の差を見せ付けられる。
繋いでいない反対の手でぱらり、と走って乱れた前髪を戻す。それから長い私の髪を慈しむように二度三度辿って、笑った。

「大丈夫?疲れた?」

にっこりと笑うその顔が何故私に向けられるのかわからなくて、うつむいて首を横に振った。
良かった、と聞こえた彼の声に私は何も答えない。反応しない私を不審に思ったのかちゃん?と首を傾けて顔を覗き込んだ。

「…して」

「ん?」

「どうしてヒノエくんは私を構うの?」

あの日助けられて、そのまま学校サボってデートなんてしちゃって。それ以来電車で会うことも無く、終わったんだと思ってた。
たった一度の奇跡の様な出逢いなんだと、割り切ってしまわないと耐えられなかった。
たった一日。たった一日だ。
それなのに私の心はいとも簡単に彼に盗まれて。こがれてこがれてこがれて、待ち望んだ紅。
彼は沢山の女の子を連れて現れた。まるでお前も遊びなんだと、入る隙間などないのだと、教えに来たかのように。

「…ちゃん?」

「だってヒノエくんの周りにはあんなに綺麗な人達がいっぱいいるのにっ…」

「でもオレは、ちゃんがいいんだけど」

「…嘘」

「嘘じゃないよ」

「嘘だよ」

「嘘じゃない」

ただうつむいて嘘だと繰り返す私に近付く紅。
顔をあげた瞬間触れそうになった唇にパッと身を引いて思わず繋いでいない反対の手をかざした。

「って…」

ヒノエくんの羽根のアクセサリーが揺れる。頬に射す私に与えられた赤。そんなの、もう、

「こんなっ、簡単にキスしようとする人の言葉なんて、信じられないよっ…」

泣かない。
泣かない泣かない泣かない。
ぐっと唇を噛んで溢れそうな涙を耐える。キッと顔を上げて繋がれていた手を離す。
ヒノエくんを叩いて赤くなりじんじんとしている手をかばうように包んだ。
繋がれていた手はお互いの体温で、叩いた手はその衝撃で、あつく、

「…っさよなら」

叩かれたまま顔を戻さないヒノエくんに言い放って私は走った。
暗く重たかった空から雷鳴が響きわたり一気に街を暗い雨が濡らした。
傘や鞄を被りながら駅へと走る人達を背に私は瞳から溢れ落ちる沢山の雫に困っていた。

「やだっ…もう、さいていっ…」

微かに震えている手で顔を覆う。
今だじんじんとしている手と既にお互いの体温が冷めてしまった手が、寂しかった。