物語はある日唐突に始まりを見せる。
その主人公が自分で、相手が彼であることなど気付かせないまま、
運命は勝手に動き始めた。
眼鏡彼女。vol.1
こんな日に日直だなんてついてない。
雨で湿気一杯の日に朝早く来て花の世話だなんだなんて言ってしまえばやってられない。
癖っ毛の髪はピンピン跳ねていて、いつもより一時間早く起きて何とか落ち着かせたのだ。
すべては彼に好かれたいが為の涙ぐましい努力である。
大体彼が日直の相手でなかったら髪の毛がボッサボサでも構わないのだから。
「おやさん、おはようございます」
「あっお、おはよう柳生くん!お花の水換えありがとう」
「いえ、さんも黒板の方ありがとうございます」
「ううん、全然。あ、私職員室に日誌取りに行ってくるね」
「あ、さんでしたら私も…」
「ひとりで大丈夫だから!待ってて!」
教室から出てふと思う。私は彼とまともに話せているのだろうか。顔が赤くなったりはしてないだろうか。
思わず頬を両手で押さえる。
職員室に入れば先生がひらひらと手を振っていた。
「おーー日直ごくろーさん」
「先生日誌下さい」
「はいはい」
先生は差し出した私の手のひらの上にクラス全員分のノートを乗せてその上に日誌を乗せる。
いやいやちょっと待て?
「先生何ですかこれ」
「日誌。」
「いや日誌の下の」
「返却ノート。」
「何で私に」
「日直だから。」
「理不尽だ…!」
「まあまあ、ほら、口開けろ」
反射的にパカッと口を開けると口の中に広がる甘苦さ。チョコを入れられたと気付いたのはちょっとしてからだった。
「先生、」
「内緒な。ほら、ノート頼んだぞ」
「買収だー」
「いーのいーの」
先生はにかっと笑うと頭をぐりぐりと撫でる。
まあいい担任であることは確かであったので諦めて教室へと運ぶことにした。
それにしてもちょっと重い。
まあそうだよね。クラス全員分のノートだもん、そら重いわ。
てかぐらぐらするよこれバランス悪い。
あーチョコで買収されるんじゃなかっ…
「あっ…!」
一瞬口の中のチョコに気を取られている隙にノートが斜めに崩れる。
受け止めようと体をズラして見るけど余計にバランスが崩れる。
ああこりゃダメだと自分も一緒くたにノートと崩れそうになって目を閉じた。
「大丈夫ですか?」
その声に顔を上げたら真上に柳生くんに似たの顔があって、崩れかけたノートは彼の長い手によって助けられていた。
かく言う私も彼の胸に後ろから抱えられるようにして崩れ落ちずに済んでいた。
「えっあっ柳生…くん?」
「はい、大丈夫でしたか?」
「あ、うん。助けてくれてありがとう…」
「いえ、当然のことをしたまでです。」
少し息を切らした彼は眼鏡をしていなかった。
何故だろう、と思って体を動かそうとしたとき、体が密着していたことにハタと気付いた。
「っ!…あっ、ごめっ」
「さん!」
無理に離れようとしてバランスが崩れノートがまた崩れる。
バサバサバサと嫌な音を立てて落ちたノートと対象的に私は逞しい彼の首筋に顔を埋めることになっていた。
「や、ぎゅう、くん?」
最早密着どころのはなしではなかった。
彼の熱いくらいの両手が背中に回っていて、彼のシャンプーの香りが鼻を掠める。
「…すみません!」
柳生くんが我に返ったように私を離した。
パキ、
その途端に足元から聞こえた小さな不協和音に、私達の視線は自然と下に向く。
「…あっ!」
私達の足元には割れてしまってフレームの曲がった眼鏡が飛び込んできた。
これは柳生くんの眼鏡だ。
「柳生くん!これ…!」
「ああ、割れてしまいましたね」
意外にも冷静に柳生くんは割れた眼鏡を拾い上げる。
とてもじゃないがかけれる状態ではなかった。
「ノートを拾って教室に戻りましょうか」
「待って!」
「…はい?」
屈んでノートを拾おうとした柳生くんの腕を掴んで止める。
「弁償します!」
「さん、」
「わ、私のせいで眼鏡割れちゃったんだし…っ」
「いえ、さん踏んでしまったのは私自身ですし」
「それでも!私のせいには違いないでしょう?お願い柳生くん!」
「…ですが、」
「どうしてもお金出すのがダメって言うなら私が柳生くんの眼鏡の代わりになる!」
「え?」
「だって柳生くん眼鏡なしじゃノートも取れないし階段も危ないでしょ?私柳生くんの眼鏡の代わりになるよ!」
「…そうですね、私の眼鏡はフルオーダーですし
女性に、それも中学生のあなたにお金を出していただくわけにはまいりません。
では今日一日、私の眼鏡の代わり
になっていただけますか?」
「…はい!」